「………どうして此処にいる」 蓮は苛々と尋ねた。 は気まずそうに、視線を外した。 「…部屋にいろと、俺はそう言わなかったか」 「言った。でも…」 「飛び出したのは聞いた。それがどうして葉の家にいるのだ」 「……、まよった」 「………」 ため息と共に、蓮の肩から力が抜けた。 □■□ 一次予選の結果は、麻倉葉、道蓮共に引き分け。 よって、二人とも予選通過となった。 うちに来いよ、と葉から誘われたが、蓮は一度断った。 待っている奴がいるから、と。 だけど。 「……そいつなら、今オイラん家にいるみたいだぞ」 会場である摩多霊園にも、霊はいる。 付近にいたその霊が、葉に教えた。 「…………は?」 蓮は目を丸くした。 ―――そして今に至る。 「まあ、まあ、蓮。いいじゃねえか。も悪気があった訳じゃねえんだし」 「だが土地勘もないくせにそんな無謀な……って葉、貴様。いつの間にの名を」 「さっき教えてもらったんよ」 が助けてもらった家、つまり民宿『炎』では、まったりとした雰囲気が漂っていた。 全員にコップとジュースが配られ、乾杯をする。 予選通過を祝う会、らしい。 計らずもそれに参加することになっただが… (……蓮…やっぱり怒ってた、な…) コップに揺れる、オレンジジュースを見つめながらは項垂れていた。 確かに、彼が怒るのは無理もないのだ。 約束を破って勝手に飛び出して…挙句の果てには試合相手だったらしい麻倉葉の家に厄介になってしまうなんて。 はぁ、とため息が零れる。 蓮が予選を通過したことは、とても嬉しいことなのに―― この状況に落ち込んでしまう。 「――なあなあ」 不意に声をかけられた。 顔を上げてみると、そこにいるのは青い髪の少年。 確か…ホロホロ、だったかな。 「お前さあ、名前、何て言うんだ?」 「…」 「オレはホロホロ。よろしくな」 と、手を出してくる。 蓮以外の人間と触れ合うのは久々で、おずおずとはその手を握り返した。 ホロホロが嬉しそうに、にかっと笑う。 そしての隣に座ると、 「なあ。お前、蓮と一緒に暮らしてんのか?」 「うん…拾って、貰ったの」 「拾った?」 「うん…わたしが一人だった時」 へぇ…とホロホロは相槌を打つ。 「でも大変だろ」 「どうして?」 「あのぼっちゃま、相当我が侭みたいじゃん。振り回されたり、しねえの?」 「………」 わがまま、というか、何と言うか。 「…それより、わたしの方がずっと迷惑かけてる」 そう、例えば今みたいに。 また思い出して、はしゅんと俯いた。 迷惑…か… 自分で言った言葉に、傷つくなんて。 「………」 憂い顔のを、しばしホロホロは見つめて。 おもむろに、ぽん、とその頭を撫でる。 驚いて顔を上げる。 「だーいじょうぶだって。そんな気にすんな。悪かったな、変なこと言っちまって」 な? と優しく微笑んでくれるその姿に。 何となく、救われた気がして。 ふっと心が軽くなった気がして。 「……うん」 もやっと、微笑んだ。 その様子を、離れたところで蓮と葉が見ていた。 「おーお。ホロホロの奴、のこと気に入ったみたいだなー。まあ仕方ねえけど」 、可愛いもんなあ。 そう苦笑する葉に、蓮は鼻を鳴らし、ぷいとそっぽを向いた。 「俺には関係ない」 「そうか?」 「…何が言いたい」 やー別にー? と、葉はへらへらと笑った。 …何だか、やけに癇に触った。 何故だろう。 さっきから、苛々する。 が――ホロホロと話をし始めてから、ずっと。 彼らが気になって仕方ない。 折角予選を通過して…やっと心が落ち着いたと思ったのに。 (っくそ……) 苛々を掻き消すように、蓮はコップのジュースを一気に飲み干した。 宴もたけなわ。 ホロホロと葉がじゃれ合っている。 そうして、しばらくそれぞれがどんちゃん騒ぎをしていると―― 「蓮」 ジュースの入ったペットボトルを抱えて、が蓮の隣に座った。 「コップ、注ぐね」 と、蓮の手の中にあるコップにジュースを満たす。 「……いいのか」 「え?」 「ホロホロ達と…話していなくて」 ああ、何を言っているのだろう。 自分で自分に嫌気がさす。 これではまるでガキではないか。 一瞬きょとん、としただったが、 「いい」 「…そうか」 「うん」 しばらく二人の間に沈黙が降りた。 ざわざわと庭の梢の音だけが、支配する。 他のメンバー達の騒がしい声が、どこか遠くに聞こえた。 ふと、が意を決したように口を開く。 「―――蓮」 「なんだ」 「あの、…………予選通過、おめでとう」 ずっと言いたかった言葉を、やっと言えた。 そんな感じだった。 事実その通りだった。 宴会が始まってから、ずっと―― 蓮が怒っていることが凄く気になっていて。 でもあのあと、ホロホロに励まされて。 「……それを言う為に、此処に来たのか」 「え? あ、うん…そうだけど」 「…そうか」 どうしてだろう。 蓮の顔が…少しだけ和らいだ気がした。 だけど確かにもう怒ってはいないみたいで、ホッと安堵する。 「―――」 「なあに?」 「約束、もう破るなよ」 「! も、もう破らない!」 「絶対だな?」 「ぜったい!」 むきになるを見て――蓮がおかしそうにふっと笑った。 びっくりしたはそのまま固まってしまう。 あれ? 蓮の様子… そういえば、この『炎』で蓮と顔を合わせたとき。 不思議に思った。 何だろう。 確かな言葉では言い表せないのだけど…何だか。そう。 (柔らかく、なった…?) だってこんな風に。 純粋に彼が笑うところは、殆ど見たことがなかったから。 さっき、掻い摘んで試合の様子を、まん太や馬孫から聞いていた。 ―――これも麻倉葉の影響だろうか。 「――蓮、変わった」 思わずぽつりと呟いた。 蓮本人は不思議そうに「そうか?」と首を傾げる。 は頷く。 「うん。……何だか、やさしくなった」 そういうと、蓮の顔が仄かに赤く染まって、「阿呆」と視線を逸らされた。 ああ、変わった。 やはり。 なんだろう……何だか、嬉しい。 かぽー…ん 民宿『炎』の浴場。男湯。 あのあと蓮は、葉やホロホロ、まん太や持ち霊たちと共に、風呂に入っていた。 流石は元民宿というべきか、浴場自体が男女に分かれておりこの男湯も結構広い。 白い湯気があたりに立ち込める。 温泉に身を漬けながら、蓮はぼんやりと考えていた。 (……あの馬鹿。変なことを言うから…) 言いたいことがあったのに。 の言葉に、何だか言いそびれてしまった。 「………」 ホロホロがはしゃいで、葉やまん太達に絡んでいる。 先ほど一度怒鳴ったのだが、まだ懲りていないらしい。 小さくため息をつく。 「お。何だ蓮、ため息なんかついて」 すると目ざとく見つけたホロホロが、蓮の傍に寄ってきた。 「こっちへ寄るな」 「何だよー冷てえな。は優しいのによ」 その言葉にかちんとくる。 「何だと貴様。さっきから聞いておれば馴れ馴れしく――」 「まあまあ。落ち着けって、蓮。ホロホロ、お前もちょっとからかい過ぎだぞー」 「そうだよ。友達なんだしさぁ」 慌てて葉が蓮を抑え、まん太と共に宥める。 ちぇ、とホロホロが口を尖らせた。 「なー蓮」 「…今度は何だ」 「お前さぁ……とどういう関係なんだ?」 「っな」 余りにストレートな物言いに、蓮は思わず湯船から立ち上がった。 ばしゃん、と音が響く。 ホロホロは尚も尋ねてくる。 「なーなー。家族じゃねえんだろ? ……まさか嫁とか? 葉みたいに」 「っ…馬鹿か貴様! そんな訳ないだろう! 俺とは――」 言いかけて。ふと、口を噤む。 ……… 自分と、の関係。 上手く言葉では言い表せない、と。 その時初めて気が付いた。 それほどに――何ともいえないほどに、曖昧な関係だと。 急に黙り込んだ蓮をしばし見つめると、ホロホロは「そっかー」と星空を仰いだ。 その顔が、やけに嬉しそうな気がして。 それがまた癪に障った。 いや…多分気のせい、だと思う、けれど。 「………」 そんな蓮の様子を、葉が黙って見つめていた。 「――何だか、男湯が騒がしいわね」 アンナが呟く。 此方は女湯。 造りは男湯と殆ど同じだが、湯船の形やシャワーの位置などが対称的になっている。 「……?」 が顔を上げた。 そういえば少し前、彼の叫び声のようなものも聞こえた気がしたけれど。 「あ、ちゃん肌きれー」 「…わっ」 ぼんやりと湯に沈んでいると、突然ピリカに抱きつかれた。 びっくりして、は変な声を上げた。 「ねえ、ちゃんはシャーマンじゃないの?」 「うん。わたしはちがうの」 「へー」 じゃあ私と一緒だねえ、とピリカが微笑んだ。 同年代の女の子と話すのは初めてだったから、ぎこちなくなってしまう。 「じゃあ頑張ろうね、お互い」 「?」 「相手のサポート。私はおにいちゃんの。ちゃんは、蓮さんの」 (サポート…) 支えること。 ―――出来る、かな。…出来たらいいな。 「……うん」 そんな願いも込めて、も微笑んだ。 ピリカの笑顔を見ていると…何だか此方も、元気になる。 「あーもう、ちゃん可愛いー!」 「……!」 再び抱きつかれて、今度はばしゃんと大きな音を立てて二人一緒に湯船に沈んだ。 それをたまおがはらはらした目で、アンナが呆れた目で眺めていた。 「あれ?」 不意に、ピリカが素っ頓狂な声をあげた。 「ちゃん、この傷どうしたの?」 その大仰な声に、たまおやアンナも傍へ近寄る。 「これは…さん、何か大怪我でもしたんですか?」 たまおが心配そうにその傷を見て尋ねた。 それもその筈。 のその傷は―――左胸の、ちょうど心臓のある位置辺りにあった。 勿論既にふさがった、傷跡。 それも相当古い。 そして、痕が残るほどの大怪我だったらしい。 「こんな大きな傷負って、良く無事だったわね」 アンナもやや感心ように言う。 だが当の本人は、たった今気付いたように首をかしげた。 「…? でもわたし、こんな大怪我したこと、あったかな…」 もしかしたら… なくした記憶の中に、あるのだろうか…? 夜は更けていく。 ―――お前、に言いたいことがあるなら、きちんと言った方がいいぞ 風呂から上がって、皆で涼んでいる時。 そう、ぼそりと葉に告げられた。 驚いて彼の顔を見ると、いつものようにユルユルと笑って此方を見ていた。 「………」 わかっている。 だからこそ、今こうして。 皆が寝静まった頃―― 蓮は廊下を歩いていた。 辺りは物音ひとつせず、ただ虫の音だけが満ちていた。 ぴた、と蓮はある部屋の前で止まった。 マントが微かに音を立てる。 蓮は今、既に浴衣姿ではなかった。 戦闘服。 そうこれから ―――憎しみとの、決着をつけにいくのだ。 「………」 ずっと考えていた。 葉との試合のあと。 道家の憎しみの連鎖。 自分が今まで犯してきた所業。 そして――その決着を。 だけどそのために。 に――彼女に、必ず伝えなければいけないことが、あった。 本当は言うのをやめようかとも思った。 でも… 葉に言われて、決心がついた。 そのが寝ているであろう部屋の前で、しばし蓮は立ち尽くす。 彼女は、もう寝ているかもしれない。 それならそれで構わない。 ただ、一目会えれば。 そっと襖を、薄く開けた。 男子部屋と違って、女子は一人ひとりに個室が与えられたらしい。 だからこの部屋には、しかいない筈だ。 真っ暗な部屋。 唯一の光源は、ぼんやりとした月光のみ。 やはり、もう寝ているか… そう思ったその時。 「……れん…?」 微かに掠れた声が、敷かれた布団の中から聞こえた。 ごそごそと音がして、が目を擦りながら布団から出て近付く。 すっと襖を開けて。 「どうしたの…?」 不思議そうに尋ねる。 「――蓮、そのかっこう…」 「」 そっと手を握られる感触。 の意識がはっきりと覚醒した。 重ねられた蓮の手を見る。 「……蓮…?」 見上げる顔が微かに赤い―― それでも蓮は、の目を真っ直ぐに見つめて、言った。 「これから俺は、己との決着をつけにいく」 だから 「お前には……待っていて欲しい」 「蓮…?」 が目を丸くする。 何のことを言われているのか、唐突過ぎて…わからない。 でも何故かそれ以上のことをたずねるのが、憚られて。 「…また、一人でどこかへ行くの…?」 そう言うのがやっとで。 ぐっと。 蓮が言葉に詰まったのが、わかった。 「……そうだ」 しかし蓮は、続ける。 そうしなければいけなかったから。 ――傷つけたくなかったから。 道城は、シャーマンファイト以上に命の奪い合いになるだろう。 たとえ相手が自分の肉親だったとしても。 恐らく、いや確実に……あの父親は手加減はしまい。 だからこそ、自分も全力で行かなければならない。 また生きて…帰ってくるために。 は、連れて行けない。 「…すまない。だが、お前のことは既に葉に頼んである」 「でも」 彼女の言いたいことはわかっている。 昨日のシャーマンファイトにも、自分は彼女を置いていった。 理由は、同じ。 彼女を傷つけたくなかったから。巻き添えにしたくなかったから。 そして… 己の醜いところを、見て欲しくなかったから。 (恐らく――それが一番の理由なのだろうな) 屁理屈。 言い訳。 何と罵られようと構わない。 だから。 「すぐに迎えに来る」 「………」 蓮の気迫が伝わったのか、は言葉を飲み込んだ。 もう何も言わない。 ただ、ぎゅ、と。 重なった掌に、指を絡める。 これには蓮の方が驚いた。 「――まってる…」 か細い声で、は言った。 「待ってるから……絶対、帰ってきて」 それは、泣きそうなのを必死に堪えるかのように震えていて。 直に掌に伝わる温度に、ふと蓮は、彼女と商店街に行ったときの事を思い出した。 あの時は、迷子になったをつれて帰るために、咄嗟にとった行動だったけれど。 (…早いものだな) もうどのくらい経ったのだろう? と出逢ってから。 最初はただ試したかっただけだった。 己の運命を。 全く違う世界に住む者同士――― それでも道は交差するのかと。 関係は…続くのかと。 ただそれだけだった。 なのに、気がつけば。 守りたいと 心が 思っていて 蓮はの手を離すと、くるりと背を向けた。 の視線を感じる。 しかしそれを振り切るように―――蓮は、白凰の元へと走った。 去り際に、微かな呟きを背中で聞いた。 すなわち――― 「いってらっしゃい」と。 白鳳が街を駆ける。 傍には、武将の持ち霊。 静まり返った街に、蹄の音だけが響いた。 今夜は満月。 「お前の言った通りになったな、」 手綱を握り締めたまま、蓮はぽつりと呟いた。 脳裏に浮かぶのは――最初に出会った時の。 「もうすぐすべてがかわる。歯車がまわり、進むべき道が分かたれる。すべては、己が意思で選び取れ」 「……選び取るさ。己の、運命を」 この手で。 白鳳が街を駆け抜ける。 ただその蹄の音だけが――夜の街を支配していた。 |